オリンピックの起源(図書だより)

古代ギリシアの人びとは「世界は円く平たいもので、自分たちの国はその中央にあり、ギリシア最高峰で、ゼウスをはじめ12神が居住するオリュンポス山と神託で有名なデルフォイの町がその中心にある」と考えていました。ギリシアの地形は複雑で深い渓谷や入り江によって地形が細かく分断されていたこともあり、本土や半島には1000以上のポリス(都市国家)が形成され、互いの独立性、優位性、そしてギリシアの少ない資源を巡っての争いが絶えませんでした。


<デルフォイにあるトロス(周柱円形堂)>
出典/世界の地理11 イタリア・ギリシア(朝倉書店)


<出典/驚異の古代オリンピック(河出書房新社)>

ペロポネソス半島西側に位置し、2000メートル級の山々に囲まれたオリュンピアは紀元前1100年の頃は「大地の女神ガイア」の聖地であり、紀元前1000年頃になると豊穣の祭典としての徒競走が行われていました。

オリンピックは、紀元前776年に都市国家エリスの王イフィトスによって始められたと言われており、この年を「第1オリンピアード(Olympiad)1年」といいました。オリンピアードとは、4年を1ヤードとしたオリンピックの周期のことです。ギリシアでは「オリュンピア祭」の他にも「ビュティア祭」「イストミ祭」「ネメア祭」が行われ、その奉納品の多さから群を抜く盛大さを誇ったのが「オリュンピア祭」だといわれています。古代オリンピックは紀元前1100年から紀元後394年にローマ皇帝によってキリスト教以外の異教の儀式を禁止されるまでのおよそ1200年、4年に1度の競技の祭典は欠かすことなく続けられてきました。

都市エリスから南東に40キロほど離れたところにあるオリンピアという場所は、古くから祭祀の地ではあったものの、もともと人の定住する集落ではなかった。まして国家ですらなく、アルフェイオス川の畔、クロノスの丘の南のゼウス神域を指す地名にすぎない。前十世紀の末から前九世紀初め頃、ゼウスの神託所として祭典が始まったオリンピアは、周辺共同体の豪族たちの集会所となり、彼らは神託を請う返礼に巨大な青銅製の三脚釜を奉納した。

学問としてのオリンピック
橋場弦・村田奈々子 編
山川出版社

競技は5日間で、「全能の神ゼウスは天上の玉座から祭典をたたえ、勝負の行方を追いかけていた。」といわれています。

競技会の日程は複雑な計算をもとに、5日間のうちの真ん中の3日目と、夏至から数えて2回目の満月が重なるように決められた。つまり、農作物の収穫が終わってオリーブの収穫が始まるまで、八月から九月の初めまでのあいだに真夏の宴が開かれたのである。

古代オリンピック 全裸の祭典
トニー・ペロテット/矢羽野 薫 訳
河出文庫


出典/世界の歴史5 ギリシアとローマ(中央公論社)
桜井万里子/本村凌二

オリンピックの開催が決まると、オリンピックを告げる「スポンドフォロイ」とよばれる3人の使者がオリーブの枝で作られた冠をかぶり、エリスを出発して各国の役人(=プロクセノス)」に「競技会の日程」と「聖なる休戦(エケケイリア)」の期間を告げます。聖なる休戦の目的は「神域であるオリュンピアとエリス全土が汚されないこと」であり「競技会に向かう選手はもちろん、観客らも聖なる巡礼者として(そこに至る道も含めて)安全が保障される」という意味あいのもので、これによって各ポリスは休戦状態に入り、軍隊の通過や駐留をはじめ、武器を持った個人もいかなる理由があろうと一切の入国が禁止されました。

オリンピック競技に参加できるのは正式なギリシア人で、罪を犯してない自由市民であることが求められました。競技に参加する選手達はおよそ1ヵ月前からエリスに入り、厳しい訓練を行いました。この頃の競技では、力と技だけでなく、人々に感動を与えるための肉体の調和と均斉(それは精神と肉体との調和を意味する)も重視されました。


<ミュロン作 「円盤投げ」の複製>
出典/目で見る世界の国々-21 ギリシア (国土社)

競技会で競い合うことをギリシア語で「アゴーン」といいますが、アゴーンでは運動や音楽、吟唱、詩作などの能力も競いあいました。

紀元前7世頃の頃、「ヘシオドス」は、農民の日常生活をうたった「仕事と日々」で次の様な詩を書いています。

人間は労働によって家畜も増え、裕福にもなる、
また、働くことでいっそう神々に愛されもする。
労働は決して恥ではない、働かぬことこそ恥なのだ。

世界の歴史5 ギリシアとローマ
中央公論新社 

 

されば賄賂を貪る長たちよ、かかることのなきよう心して、制裁を正し、
裁きを曲げることは、今後は一切考えないように。
他人に悪事を働く者は、わが身に悪事を働くことなり、
善からぬ謀み(たくら)は、謀んだ者にもっとも善からぬ結果となる。

世界の歴史5 ギリシアとローマ
中央公論新社 


【ギリシアの牧歌的なたたずまい】
出典/世界の地理 11 イタリア・ギリシア(朝倉書店)

古代ギリシアの人々はポリスという共同体の中で、「自由人であり、勤勉であり、法と秩序を重んじる人々」であったといわれています。そして神々の祭典で全裸で競技をしたのは「神の前で平等である」という考え方の表れであったかも知れません。

オリンピックは時代に翻弄されながら393年に第293回の競技会を最後にギリシアとともに消滅しました。ギリシアの遺跡はその後1000年以上も完全に失われていましたが、ドイツの考古学者ハインリヒ・シュリーマンの発掘調査によってその存在が世界で注目されるようになりました。

近代オリンピックの基礎を築いたクーベルタンは教育改革とスポーツマン精神をギリシアの精神から受け継ごうと考えました。古代ギリシアの精神、それは「あるがままの人間を肯定した人間賛美の精神」です。

「平和」の概念は同時にオリンピズムの本質的な要素であります。オリンピック競技は未来へと代々続いていく4年に一度の花咲く祭典です。だからこそ宇宙の厳粛なリズムによって開催されるものであります。歴史上の紆余曲折(うよきょくせつ)と闘争は今後も続くことでしょう。
思慮なき憎しみは相互理解によって和らぎ、私が精力を傾けてきたオリンピックという城が一層強固なものとなるでしょう。
そして君たち選手諸君には我々の時代を明るく照らし勇気づけるため、オリンピアの地から運ばれた聖火を忘れずにいてもらいたい。

1835年8月4日 リチャード・クーベルタン

オリンピズムの根本原理
https://www.joc.or.jp/olympism/charter/konpon_gensoku.html

私たちは今日まで、近代オリンピックを「平和と豊かさの象徴」として捉えてきました。けれどもコロナによるパンデミックによってオリンピックを取り巻く環境は大きく変わることとなりました。

かつて、オリンピックは第1次世界大戦と第2次世界大戦によって3回中断、1945年8月6日には広島、9日には長崎に原子爆弾が投下され、本校では486名の旧制中学生達の尊い命が奪われました。そして2011年3月11日、想像もしていなかった東日本大震災によって1万5000人余りの方々の命が失われました。この他にも日本各地で土砂災害による被害は毎年のようにおきています。

オリンピックという「国境を越え、人種を超えた平和の祭典」の中で、私たちは「平和」の意味をどう捉え、この悲しみを世界にどう発信していけば良いのでしょうか。

2021年7月、日本で57年ぶりの「東京オリンピック」そして「パラリンピック」が開催されます。世界206ヵ国から集まる若きアスリート達が再び熱い戦いを繰り広げることでしょう。若者たちの未来に私たちは「恒久の平和」を願ってやみません。そしてクーベルタンが願った古代ギリシアのオリンピックを今に蘇らせ、「続けること」の意義をとらえ直すのはいかがでしょうか。

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