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令和3年度 原爆死没者慰霊式

原爆投下より76年目の夏を迎えました。
今年も山陽高等学校では原爆死没者慰霊式が行われました。

例年、登校日として全校生徒が参加するなか行われる慰霊式ですが、今年は新型コロナウイルスの急速な感染再拡大を受け、遺族の方と学園関係者・教職員・生徒会長のみの参列となりました。

昭和20年8月、本学園の中学・商業(旧制)の各2年以上の生徒はほとんどその全員が学徒動員に参加して各方面の軍需工場で奉仕作業に、また1年生数百名は雑魚場町の家屋疎開作業に従事していました。6日の原爆投下により工場勤務生徒はその一部、爆心地に近かった疎開作業現場においては生徒のほとんど全員、引率していた教職員、校内(現在の宝町)に残留していた教職員がその場に即死、さらに苦悶を訴えながら翌日以降に亡くなった方もかなりおり、校長他17名の職員、486名の生徒が犠牲となりました。
犠牲となられた先輩方の御霊に対する慰霊とともに未来永劫にわたる平和を改めて祈念いたします。

追悼の言葉

本日ここに、「山陽高校原爆死没者慰霊式典」を挙行するにあたり、学校を代表し、謹んで追悼の言葉を申し上げます。
あの忘れることのできない日から、七十六年という歳月が過ぎ去りました。
昭和二十年八月六日八時十五分、人類史上初めて使用された原子爆弾が広島市の上空で炸裂し、一瞬にして焦土と化し、多くの尊い命が失われました。

本校でもその日、多くの生徒が、工場での奉仕作業や地域の疎開作業に従事していました。その場で即死したもの、翌日以降に苦しみながら亡くなったもの、校長ほか十七名の教職員と生徒四百八十六名が、この原子爆弾の犠牲になりました。

このような、あまりにも若い犠牲者の方々の無念の思いを推し量るとき、哀惜の念に堪えません。
また、最愛のわが子や肉親を失われたご家族の皆様には、長い間、言葉に尽くせない深い悲しみと、多くの困難を乗り越えてこられたところであり、その間のご苦労と努力のほどは、察するに余りあります。私達は、先の大戦の体験から、「過ちは二度と繰り返しません」と固く決意しました。

しかしながら、戦後生まれの世代が大多数を占める中、戦争・被爆体験の風化が懸念され、一方では今なお恒久平和と核兵器廃絶への道のりは険しいものがあります。

今年一月二十二日、核兵器の開発や実験、保有すること、使用すること、そして、「核兵器を使用する」との「威嚇」などを全面禁止する史上初の国際条約が、国連で百二十二カ国・地域の賛成と、条約発効に必要な批准数五十カ国・地域を超し、発効されました。
湯崎県知事は、「核兵器の違法性が国際社会で認められ、意義深いことである」と受け止め、松井市長は、「核廃絶を目指す市民社会の取り組みに不可欠な道しるべとなる」と評価しました。
しかし、核保有国は、条約自体に反対しており、米国の「核の傘」の下にある日本は、批准はしていません。

私達は、日本政府に対して、広島・長崎の悲劇を繰り返さないため、条約に署名・批准し、廃絶へ向けて努力すべきであると強く求めていかなければならないと感じます。
そのためにも、被爆地ヒロシマにある学校として、「平和を希求する精神」を忘れることなく持ち続け、戦争の悲惨さや、そこに幾多の犠牲があったことを次の世代に語り継ぐと共に、平和の大切さを強く訴え続け、誰もが心豊かに暮らせる社会となるよう、全力を尽くしていくことをここにお誓い申し上げます。
終わりに、犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げ、追悼の言葉といたします。

令和三年八月六日
広島山陽学園山陽高等学校
校長 今 川 孝 徳